今日は老人の話 やっぱり子どものパワーの方が好き

最近、面白いなって思っているのが
アルツハイマーの義母がデーサービスでやってくるワークです。

赤ちゃんは脳を成長させるためにやっているワーク
と、成長しきった脳から記憶がなくならないように
やっているワークが酷似しています。

私が子供たちのために考えているワークと
非常に似ているので驚くことが沢山あります。

幼児と高齢者のワークは同じ


デーサービスから帰ってきた義母のバッグの中には
塗り絵・折り紙・しりとりなどの
その日にワークしたペーパーが毎回入ってきます。

面白いなって思うのは
これが幼児期に子どもに与えるワークと酷似しているのです。

赤ちゃんは
これから脳を発達させるためにワークをやり

一方、高齢者は
自分の脳を衰えさせないためにワークをやる

なんとも皮肉であると思ってしまうわけです。

脳も身体も正常な高齢者になるために


本来ならば
高齢であっても
自分の意思でこのようなワークであったり
いつまでも自分の趣味ができるようになることが
望ましいわけです。

日本は高齢化社会ですが

一体、身体も脳も正常で
何も問題なく生活できている高齢者は一体どれだけいるのでしょうか?

自分たちの老後も考えながら
本当の幸せとは何かを考えてしまうのです。

認知予防は効果があるの?


趣味を沢山持ち、やりがいがあると本当に認知症にならないのでしょうか?
認知症が予防できるのでしょうか?

私は自分の身近な人間をみていて疑問があります。

それは
やりがいを持たなくても
沢山の趣味を持っていて、いつも予防を心がけていても
病気になる人はなりますし
認知症になる人はなるんです。

結局、趣味を持つ、生きがいを持つは予防でしかないわけです。

もっと言えば、予防できるかもね!ぐらいの不確かなことで
ある意味、人の運命で予防なんかできないのではないか
とも思っています。

趣味がなくても長生きできる


義理の両親がいい例です。

93歳で他界した義父は
70歳まで仕事一筋でした。

しかし、なくなる93歳まで趣味も持たずに
外出・旅行もほとんどせず
運動もせずに、家にこもっているだけの人でした。

定年後のほとんどの時間をリビングのソファでテレビを見て
本と新聞を読むだけで過ごしていました。

タバコも吸う人で
検査で肺は真っ黒と言われているのにガンにもならず
なくなる数日前まで
自分でトイレもお風呂も全てできました。

寝たきり老人とは全く違い
様子をみにくる、ケアマネさんも驚くほどの記憶力を発揮していました。
頭もクリアだったと思います。

そして、そんな話を聞いた人、全員に言われるのが・・・
『自分のことが全てできて羨ましい。』と言われていました。

確かに、義父は介護が必要ない高齢者ではありましたから
家族思いであったことは認めましょう。

しかし、私は彼を見るにつけ
『この人は何が楽しくって生きているんだろうか?』と思っていました。

20年以上、外出せず、
テレビと本で時間を潰す日々

読書をしても、その知識を使わないと
何にもならないと思うのですが

彼の知識の全てはただの読書で終わっているのです。

そういう人の人生は味気ないものであると思っている私から見たら
全く、理解不能な人でした。

趣味があっても認知症になる


一方、義母は
そんな義父の認知症を心配して
自分だけは認知症にならないぞ!と意気込んでいた人でした。

昔は義父が全く無趣味でボケたら自分が世話をしなければいけないから
困ってしまう。と嘆いていたのです。

そのためか?
毎年1回か2回は友人たちと海外旅行へ行き

一週間のスケジュールは彼女の習い事で
ぎっしり詰まっていました。

この多趣味が原因で
私は全く孫を預けられない上に

彼女の代わりに
義父のお世話を全てしていました。

油絵・絵手紙・太極拳・登山・ハイキング・裁縫・編み物・ビーズ・・・・

ありとあらゆるクラフトを習い
それもかなりレベルの高い、俗に言う器用貧乏タイプでした。

ですから、
ペイント作家の私には厳しく
色々と私の作品に意見をするような憎たらしいところもありました。

それなのに
アルツハイマーになってしまったわけです。

あれほどやっていた趣味はもう、
自分では何もできなくなっていますし、

アルツハイマーの人の典型的な症状が
何もやる気が出てこないし、すぐ記憶がなくなりますので
表情も豊かではなくなります。

何もかも
人に与えてもらわないとできないというか
他人にお膳立てしてもらわないと何もやれないわけです。

デーサービスで塗り絵や折り紙をやると
本来の手先の器用さが出てきて
とても綺麗に色分けできたり、ツルが折れます。

しかし、これらのワークが
本当に本人が喜んでやっているのかどうかはよくわかりません。

そして、これが彼女が過ごしたい人生ではなかったはずだと思ってしまうのです。

病気になる・ならないは運命なのだろうか?


私は義理の両親で全く正反対の年の取り方をみてきたので
不思議でならないのです。

全く、やりがいも目標もやる気もない人が
最期までボケずに健康で過ごせて

あれだけ、なりたくないと気をつけていた人が
70代後半でアルツハイマーになっている矛盾

食べ物、自宅での行動パターンも似通っているので
もう、これは運命でしかないと思ってしまうのです。

子どもに迷惑はかけられない!自分の老後を考える!


私はこのように、全く違うタイプの人生を
義理の両親に見せられて

嫁という立場から少なからずとも
高齢者の世話をする立場にあります。

健康でもじっと自宅に籠っている人生

散々、好きなことをやって老後に備えたのに
全く活かすことができなくなった人生

なんだか
認知症にならないように
色々な準備をしていたのに
アルツハイマーになってしまった義母に関しては
不憫でならないですね。

身近な人にこのような状況の人がいると
色々と考えさせられてしまいます。

と、言うか
このような問題は必ず経験する羽目になります。

生まれてきた子どもを社会に立派に巣立たせることも
すごく大切なことですが

自分の老後も
しっかりと考えないといけないと思う今日この頃です。

今日は子どものことから外れてしまいました。

やはり、未来ある子どもの事を書く方が
自分の感覚もピカピカになる気分です。

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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