できない事をできないと言う事は正直でいい事です。
わからない事をわからないと伝えることも重要です。
しかし・・・
努力もしないでできないと言う事はいい事でしょうか?
できるのにできないふりをするのも正しい事なのでしょうか?
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この記事を書いている私は二人の子どものママです。
子どもと言っても、彼らはすでに社会人で医師として働いています。
このブログは私が子どもたちに行なってきた幼児教育をまとめています。
Contents
私立小学校のバザーは子どもの楽しみ
私立学校、特に宗教系の教えの元に設立された学校というのは
ボランティア活動やチャリティーの精神も学校方針の重要な部分です。
受験する学校を決める時は
そのような学校の考えもしっかりと理解した上で
その意見に同意、賛同をしているという事で受験するものですが・・
時々、そうではないお母様を見かける事もあります。
子どもが通った学校も
年に数回の記念日にバザーを開催していました。
子どもたちはバザーの日を心待ちにしています。
学校で
手作りのクッキーやスイーツを買って食べる事ができます。
手作りの小物や文具を買う事ができます。
学校ではできない事ができる特別な日なので
とても楽しみにしているのです。
特に手作りの小物は人気で
大きな収益に関わってくる重要な活動です。
子どもの小学校では
役員のお母様がバザーにだす小物などを考えて
保護者は数回にわたり、
作り方のレクチャーを受けて製作してバザーの準備に備えます。
小物製作の難易度も色々で
お裁縫が得意な方は着せ替え人形だったり
不得意な方に関しては簡単なミニバッグだったりポーチだったり
自分ができる事でバザーに参加をするように工夫がされています。
私、お裁縫できません!
しかし、時々いるんですが
声高らかに
私はお裁縫が一切できません。
ミシン持っていません。
という方・・・
ほんと毎年バザー準備の季節になると聞く声なんです。
はっきり言って何を言っているんだ!!って思っていました。
例えば小学校1年生の時に
本当にお裁縫ができなくって悪いな・・・って思ったら
来年の2年生の時にはクリアにしてません?
少しは運針練習してボタン付けの練習とかしませんか?
私はこれを6年間言い続けていた方を知っていますが
はっきり言って
やる気ないんでしょ?って思いました。
だって1年生の時にできなかった。
それが6年間できないって言い続けるのっておかしいですよ。
で、不思議なのが毎年できない言い訳をしていて
恥ずかしいと思っていない事なんです。
なんか勘違いしているのではないのでしょうか?
『お裁縫ができない事は自分がお嬢様で育ってやった事がないから
そもそも私はそのような雑用はできません。』
こんな態度にも取れます。
いやいや、その勘違い
はっきり言って、マジかなり恥ずかしい事ですよ。
得意でなくても参加する努力はするものです
私だってお世辞にも裁縫が上手だとは言えません。
しかしですね。
小学、中学で家庭科の授業でやった基本的な事はできますよ。
それは何年もやっていなくても
子どもの頃にやった事は体に染み付いていますよ。
バザーに提出する着せ替え人形の洋服は作れませんが
巾着は作れますよ。
ですから、自分のできる事をすれば良いのです。
人形の洋服を作れる方は大変なので1つとか
巾着だったら量産できるから代わりに5つとか
この程度のことはみんな小学56年生で習っているはずですから
大きな声で『できない』と言う方がおかしいのです。
まるで『できないこと』が偉いみたいに聞こえるし
我が子には
勉強も最低限の裁縫もできて当たり前と教えるべきです。
男女問わず小学校で家庭科は習っているはず
学校教育では家庭科という科目があります。
最低限の事ができるように
料理や裁縫などを誰もが学ぶ事です。
ですから、世の中の男女問わず全員が
最低限の調理と裁縫ができるのが当たり前なんです。
ちなみに私の夫でも
最低限の調理と裁縫(ボタン付け)はできます。
平気でできないって言っているそこのあなた
『自分は九九が言えません。』っているのと同じですからね。
受験目的だけで入学するとこうなる
何のために受験までして私立に入学させたのですか?
小学校受験というのは
その学校の建学精神や学習プログラムに賛同して
ぜひ、我が子をその場所で学ばせてあげたいと思って受験させるものです。
そこの学校の行事で保護者はどのような活動をしていくかなどをしっかりと考えて
それにちゃんと参加できる事を前提で入学をしているはずなんです。
しかし、中にはそのような考えは一切なく
偏差値、知名度から受験を決めるご家庭もいます。
これはある程度仕方ない事だと思いますが
入学したらもう何もしないでは通用しないと思うのです。
受験にあたり
少なくとも面接の時に
その学校の建学の精神や歴史はインプットしているはずです。
それなのに入学後に
平気で活動に貢献できませんと言っているに等しい事ですから
なんともおかしい話です。
気軽なお手伝いは誰でもできる事
誰も大きな貢献を望んでいない
私立学校は保護者のボランティアが面倒であると思われている方もいるかと思います。
そうのような考えを持っているのならば受験しなければいいわけです。
しかし、我が子がこの学校で学ぶメリットは大きいと思って
どうしても入学させたいと願うのならば
自分ができる貢献は全力でしようと考えるべきですし
子どもにもその精神を教える事も大切だと思います。
そして学校は大きな貢献を望んでいるわけではないのです。
保護者ができる小さな事をお願いしているだけで
私の感覚で言うと
できないという人がいる事自体、おかしい事だと思っています。
それほど誰でも気軽にできるお手伝いなのです。
『忙しい』『できない』と言わない、言わせない教育
暇な人ほど忙しいと言う
私はこれまでに色々な方々に多方面で教えを受けてきました。
現在も受けていますが
このどなたにも共通している事は
人の何倍も働いているのに忙しいと言わないんです。
彼らにとっては当たり前のパフォーマンスなんです。
ですから、忙しいと思われる人ほど
約束は守る
時間には正確、
特例をつくらない等の共通点があります。
そして当たり前のように普段の生活を言い訳せずにこなしています。
ですから
『忙しい』『できない』などと連呼している暇があるのなら
少しでも自分にできる事を探して、言い訳せずに
何にでも果敢に挑戦をするような気持ちを持ち続けて欲しいです。
何よりもお子さんはそう言うお母様のことしっかり見ているものですよ。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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